あいでんてぃてぃ・くらいしす。

積み上げてきたものが音を立てて崩れていく。

片腕の変死体

Q,阿部しょーこさんとは誰か?
 
知人の会社の同僚でいらっしゃるというその御仁は私と一緒のクラスになったことがないのにも関わらず、先方は私のことを知っているというのだから、世の中のなんと理不尽なことか!
 
高校や中学で話したことはないけれど、お名前だけは存じ上げる、そのような方もいらっしゃいます。例えば成績が超優秀だとか、万能のスポーツマン、交友関係が奔放だったり、生粋のイケメン、諸々。ウザい奴、キモい奴。そのような方々の名前はなんとなくで知れ渡りまだ話したことのない方にまでその存在を仄めかす。
 
幸か不幸か、あたくしもそのようなモサの一人だった様でありまして、石井の悪名も他のクラスまでそこそこに行き届いてしまっていました。ただ、どのような罪で我が悪名が功をたてたのか、私には計り知れない。この場合の私に課せられた罪状とは。
 
A,その方が話した、私に関するエピソードは凡そ次の通りである。
 
「 昔々、ある所に1人の生徒がおったそうな。さる授業中、黒板の問題を解くよう先生からの指名を受けた石井は、問題を解き終えると、何故か自分の席ではない他人の席へと座った。さて、困ったのはその席の本来の持ち主。同じ様に問題を解いたは良いが、得体の知れない何かがその席を占拠している。どうにもならず暫く困惑していると、そいつは「あーごめん、席間違えたわ!」とか言って足早に茂みの奥へ帰って行った。その後、石井の姿を見た者はいないというが、石井に座られた席の持ち主は成績抜群女子にはモテモテ、帰り道には毎日現金が落ちているようになり、稀代の富豪となって幸せに暮らしたそうな。めでたしめでたし。」
 
何それ、面白い(って他人事のように思った)。
授業中、席に戻ろうとしたら何故か先に誰かに座られている。一般的感覚にすれば迷惑に思われることだろう。仮に今同じような状況であっても、そのような行動はとらないだろうし、とろうとも思わない。
 
先日。
高校でクラスが3年間一緒だった同級生2人と福島で飲んできた。日頃から仲の良い2人の会話に私は挟まれてしまって、身動きままならなかった。2人の部屋に居候しているような心地で申し訳なくも思えた。つまらない人間になったものだ。
居心地の窮屈さに胡座をかいていると、大学生と思われる個性豊かな服を着た団体が広くもない店内に押し寄せ、その中の1人の女の子が私達の元へ訪ねて来た。その子は2人のサークルの後輩で、出会うのは久しぶりのようだった。
嬉々とした様子のその後輩に2人は写真をせがまれ、断ることなく3人で記念写真を撮ることになった。その子と接点のない僕はシャッター係しか引き受けなかった。「一緒に入る?」という絶妙なパスを頂いたにも関わらず。
いや、いいんだよ?
 自分だけが知らない領域が目の前に広がっていたのだからそこに不純物があるべきとは思えない。それに常識的な行動としても一緒に写らない方がきっと大多数だろう。しかし、石井にとって常識など糞にも劣る微粒子以下だったはずだ。どうしてその様な当たり前の反応しかできなかったのだろうか。
 
取って渡せよ、普通に撮影すると見せかけて自撮りした自らのご尊顔。
最低でも一緒に写真を撮って貰うぐらいのことはするべきであって、やはりつまらない人間になったものだと思うのだ。
 
 でもまぁ、別に良いのだ。
 
誰に喜んで欲しいでもない。誰に笑って欲しいでもない。私の腕が落ちようと、私の足がもげようと、特段誰かが気に留めるわけでもない。それは私も同様である。
 
こんなの死体も同然だ。
でも世の中、大多数はそうやって日々をやり過ごして生きているではないか。生きてるとも死んでいるとも自分で判別することもなく。生きてる人間なんて世の中の一握りだ。きっとそんな感じだ。
 
このまま流れて流されて私はどこへ辿り着くのだろうか。人生は航海のようなものに思える。賢い奴には行き先は見えている。馬鹿な奴は波の上に浮かんだままである。
凪だ。
風がなければ前へは進めない。それでも今のみの私では風を吹かせるような力量はない。引き出しを開けたらドラえもんが出てくる可能性はいくつぐらい残されているだろうか?
 
いずれにせよ生きている以上はあとひと踏ん張りしなければならない。私にとってそれが生きていくということだ。少なくともそうであって欲しい。
 
あと中木さんも誰だよ。