あいでんてぃてぃ・くらいしす。

積み上げてきたものが音を立てて崩れていく。

震えて眠れ

お久しぶりです!

いきなりで申し訳ないのですが、前置きはありません。石井くんとお話ししたいことは沢山ありますが、紙面がそれを許しません。

覚えてますか? 修学旅行の夜の出来事です。

あの晩自分は、トランプで負けて、初めて電話越しに石井くんの声を聞きました。冷やかしだったのですが電話口での沈黙に私は堪え切れずに、自らその旨を種明かししたような気がします。

それは本当にただの罰ゲームで、それ以上の意味は全くありませんでした。

自分はそもそもライバルのように思っていた。

みんなに人気があって、隣の人を笑わせるのが上手な石井くんよりも面白いと言われたいと思っていました。

でも学生生活を送る中でいつしか、それは適わぬことであると思うように至った。

自分は石井くんには敵わないし、そして自分はなんて劣る人間なんだろうと痛感させられた、劣等感が募っていきました。それと同時に、目標とすべきで自分に足りないものを石井くんが持っているように思えて、なんと言えば良いのか分かりませんがとても石井くんに惹かれていく自分が分かりました。

 

でも違う。好きだ、なんて言いたくない。

何より恐れた。

石井くんとの仲が悪くなってしまうことを

 ふられたりして気まずい関係にはなりなくない

それに、不釣り合いだ。他に相応しい人がいる

 だから好きになるのは誤っている。

 

その代わり目標ができました。

まず友達と呼んで頂けるよう努力すること

親友と呼んで頂けるような努力をすること

末永く 仲良くやっていければ良いと思った。

結局、それは適いませんでしたけど(笑)

 

石井くんと疎遠になってしまったことはとても
悲しい。でもそれは自業自得です。それは分かっています。
ごめんなさい
なんていう言葉ではもう済まされないでしょう
私の身勝手を突き通すあまりにきっと石井くんには色々不愉快な思いをさせてしまいました。
とても深く反省してます。


石井くんが全ての連絡先を絶ってくれたお陰でようやく私が貴方に与えていたプレッシャーに“気づきました。私は友達としても失格だな”って素直にそう思いました。しっかり認識しなければなりません。


それに加えて、考える時間も自分にはできました。これからどうするべきか。これからどうしたいのか。 やっぱり自分にはどうしても石井くんが必要なんだと思います。いつまでも目標として立ち塞がっていて欲しいと思うのです。


長くなってしまいましたが、最後にお願いがあります。

あんまり遊んだ機会はなかったけど、石井くんの隣で見えた景色は普段とは全然違うものでした。何でもない風景が本当にキラキラして見えて、本当に輝いて見えました。(これはガチ!)

私には夢があります。

あなたと見たい景色があるのです。他ならないあなたとです。

どれだけ悪い印象与えてしまった後なのかは分かりませんが、私ともう一度友達になって頂けないでしょうか?また何の脈絡もない話を聞いて頂く訳にはいかないでしょうか?

 

中村紀洋

今では少し昔の話になりますが、広い地球の片隅の「ぱりーぐ」と呼ばれる世界では野球という競技が日々行われており、鍛え上げた肉体と技術を持ち寄って沢山の猛者達がそこに集結していたものよ。

 

小笠原という選手がいた。剣道の達人が竹刀をそのままバットに持ち替えたかの如く、構えた間合いは感じ取れるほどに鋭く、彼のフルスイングで何人もの投手が犠牲になったのです。

ローズ、カブレラという選手も当時の「ぱりーぐ」を語る上では避けては通れない。両打者が打席に入った時の威圧感は近年の野球界ではきっと感じ取れない。本塁打数が55本に到達したあたりで露骨に勝負を避けられていたのはとても印象的である。

松中という選手いた。平成の三冠王と呼ばれ司法立法行政を司り、当時の「ぱりーぐ」の王様と言ったらこの人かも知れない。イグチ、コクボ、ジョージマと言った配下を従え世界を牛耳り、その国の支配は現代に至るまでである。

 

とまぁ僕ちゃんがお話ししたいのはそれぐらいの年代の話しだ。そんな時代に『中村紀洋』という怪物は紛れておったわい。

 

僕はこの中村紀洋という選手が好きだった。 足を高く上げてバットを振り抜く豪快なバッティングフォーム。スタンドまで届く放物線を放つと同時に放たれるバットは弧を描きファンの記憶にまで放り投げられるのです。

当時の近鉄バファローズのチームカラーの象徴であり近鉄の4番打者と言ったら大抵は彼である。

 

こんな彼は大阪の公立高校でチームを甲子園に導き、高卒4年目で本塁打数は二桁を超え、以降近鉄の主軸打者として活躍。2000年にはHR王と打点王の二冠。翌年46本塁打132打点打率.320という素晴らしい記録を残しましたとさ。めでたしめでたし。

 

という訳にはいかず、翌年FA権を取得した彼は「中村紀洋というブランドをまず考えて、近鉄で終わっていいのか」 との名言を放ちメッツに入団。しかけるも直前で破談。したのだが結局近鉄バファローズの消滅を契機にドジャースに移籍する。その後メジャーではさっぱり活躍できずに一年で帰国。以下、オリックス、中日、楽天、横浜と球団を渡り歩く。日本球界復帰後の活躍についてはあまりぱっとしない成績が目立ち、近鉄時代に稼いだブランドとは程遠いものがある。

 

以上が1人の選手のおおよその末路であるが、これについて、まったく、メジャー挑戦なんてしないでおけば、もう少しは日本球界のレジェンドとして名を馳せることが出来ただろうよ、と考えてしまう。

 

中村の他にも、福留、岩村、西岡など。メジャーになんて挑戦して欲しくなかった選手が沢山いる。生涯日本の野球界で頑張っていれば素晴らしい記録や成績を残せたはずであるのに、メジャーに挑戦してしまったばかりに、日米通算成績で微妙な成績、または一流半ぐらいに落ち着いてしまった強者どもが、夢の跡であります。

 

 まぁ、でも良いのだ。日本でおびただしい活躍をしてました選手がメジャーに挑戦しようとする気持ちはまだ分かる。しかし、建山とか福盛といった野球ファンでなければ名前が出てこないであろう面々。日本球界でも決して群を抜いて活躍できたという訳ではない彼らは、何の為に渡米したのだろうか。本人にそのつもりはなかったのだが、球団の手続き上のミスで仕方なく登板させられたとかではないのか?

 

 私は思う。きっと建山にも福盛にもブランドがあったのだ。それまでに野球選手として歩んできた道のりと自負が。

 

非凡の才能を持ち、非凡の努力をした者の中で、プロ野球選手となることができるのは僅かにも満たない者だけである。仮にプロ野球選手になれたとしても、殆どはレギュラーにはなれず、ある者は一度も一軍に上がれず、名前も知られぬままに球界を去っていく。

 

そのような選手であっても、大半はチームの主力として甲子園で活躍したり、地域では名の通った有名な野球のエリートだったはずでなのだ。多分に期待が寄せられたことだろう。周りからの期待と、そして自分へ向けた期待が。

 

そうとは言っても、プロでは思うように活躍はできない。その内、自らの才能の限界に気づく時が来るだろう。 活躍しきれない現状を受け入れ、それ相応の選手として型にはまっていく。限られた能力の中で細々とやりくりすることを強いられるだろう。

 

しかし、中には幻聴に襲われる者もいる。野球エリートとして歩んできた道のりが、賞賛されてきた過去が、自らに寄せてきた期待が、自分はこのようなスケールで終わるような選手ではないと、己を呼び覚ます。挑戦することがいかに無謀だとしても、実際に現実を手にしてみなければ、現実がどの様な形をしているかを把握できない不器用な人種が存在してしまう。ひどく哀れだ。そう思う。

 

ところで、今どんな夢を見てますか?

 

夢からはもうさめてしまいましたか?

 

 掌で 握りしめていたはずの夢はいつのまにかしわくちゃになってしまって、元の体裁とはかけ離れてしまったとしても、それでもまだ夢と呼べる代物ですか?

死んだ友人について

 

ぼけぇ〜っとしてる時に思考に割り込んでくる情報がだいたい3つぐらいある。その内1つがその友人に関することだ。私の中では彼の死をまだ実感できていない節がある。そのうち何処かで何かの拍子で出くわしたりしないだろうかと期待しない訳でもない。

 一言で言えば彼は異質だった。 

本が好きな奴だった。オデュッセイアを笑いながら読んでいた。意味が分からない。

「バカでしょ⁉︎」が口癖の奴だった。存命であれば今頃林修のポジションに彼が立っていたとしても不思議ではない。

家電に明るい奴だった。型番がどうのこうの言っていた。彼が力説していたパソコンの性能の差の話に周りは付いていくことができていなかったのを彼は気づいていただろうか。

帰るのが早い奴だった。帰りのHRが終わった瞬間に教室から飛び出し、皆が漸く席を立つ頃には彼は既に靴を履き替えていた。帰宅部のエースを自負していた当時の私にとって彼が唯一の障害であった。たまに一緒に帰ったりもしたが、殆どは誘う間もなく教室から既にいない。待ってくれれば良いものを、と思わないこともなかった。

 そんな彼の訃報が入ったのは数年前の秋の夏休みの終わり頃だった。

彼が死んだ。葬式があるそうだ。電話口でそう告げられた。当時は東京の大学に通っていた都合で通夜には参列できず、告別式だけ参加した。通夜の段階では彼はまだ彼の原形を留めていたそうだが、告別式の段階では既に灰になってしまった後だった。

彼の写真の前での焼香は私にとっては形だけのものであって、結局、彼の死そのものに直面できる機会はなかった。死顔でも拝んでいれば素直に彼の死を理解することが出来たのかもしれないが、彼が死んだという証拠を私に明示するものはなかった。

或いは墓石に刻まれた彼の名前を見ればそれを信じる気になれるかも知れない。しかしまだそれを見るに至っていない。本の形をしているという彼のお墓の場所が私には分からない。でもそれはそれで良いのかも知れない。そんな訳で証拠はまだ不十分であって特定には至らない。

 

まぁ私の思考はどうであれ彼は死んだに違いないのだろう。彼の性格から私は彼が優秀なサラリーマンか公務員にでもなるものだと思って疑わなかった。会えることこそ少ないだろうがどっかできっと生きていくのだろうと。多分その内、会う機会もあるだろうと。

 早いもので彼が亡くなってから数年が経つ。季節も同じように誰かを待つこともなく、私はつくづくその中に立ち尽くしてばかりであるように思う。

結局私にはさっぱり分からない。どうして君が死ぬ必要があったのだろうか。小野さん!そのお役目、私が代わって引き受ける訳にはいかなかっただろうか?

 

片腕の変死体

Q,阿部しょーこさんとは誰か?
 
知人の会社の同僚でいらっしゃるというその御仁は私と一緒のクラスになったことがないのにも関わらず、先方は私のことを知っているというのだから、世の中のなんと理不尽なことか!
 
高校や中学で話したことはないけれど、お名前だけは存じ上げる、そのような方もいらっしゃいます。例えば成績が超優秀だとか、万能のスポーツマン、交友関係が奔放だったり、生粋のイケメン、諸々。ウザい奴、キモい奴。そのような方々の名前はなんとなくで知れ渡りまだ話したことのない方にまでその存在を仄めかす。
 
幸か不幸か、あたくしもそのようなモサの一人だった様でありまして、石井の悪名も他のクラスまでそこそこに行き届いてしまっていました。ただ、どのような罪で我が悪名が功をたてたのか、私には計り知れない。この場合の私に課せられた罪状とは。
 
A,その方が話した、私に関するエピソードは凡そ次の通りである。
 
「 昔々、ある所に1人の生徒がおったそうな。さる授業中、黒板の問題を解くよう先生からの指名を受けた石井は、問題を解き終えると、何故か自分の席ではない他人の席へと座った。さて、困ったのはその席の本来の持ち主。同じ様に問題を解いたは良いが、得体の知れない何かがその席を占拠している。どうにもならず暫く困惑していると、そいつは「あーごめん、席間違えたわ!」とか言って足早に茂みの奥へ帰って行った。その後、石井の姿を見た者はいないというが、石井に座られた席の持ち主は成績抜群女子にはモテモテ、帰り道には毎日現金が落ちているようになり、稀代の富豪となって幸せに暮らしたそうな。めでたしめでたし。」
 
何それ、面白い(って他人事のように思った)。
授業中、席に戻ろうとしたら何故か先に誰かに座られている。一般的感覚にすれば迷惑に思われることだろう。仮に今同じような状況であっても、そのような行動はとらないだろうし、とろうとも思わない。
 
先日。
高校でクラスが3年間一緒だった同級生2人と福島で飲んできた。日頃から仲の良い2人の会話に私は挟まれてしまって、身動きままならなかった。2人の部屋に居候しているような心地で申し訳なくも思えた。つまらない人間になったものだ。
居心地の窮屈さに胡座をかいていると、大学生と思われる個性豊かな服を着た団体が広くもない店内に押し寄せ、その中の1人の女の子が私達の元へ訪ねて来た。その子は2人のサークルの後輩で、出会うのは久しぶりのようだった。
嬉々とした様子のその後輩に2人は写真をせがまれ、断ることなく3人で記念写真を撮ることになった。その子と接点のない僕はシャッター係しか引き受けなかった。「一緒に入る?」という絶妙なパスを頂いたにも関わらず。
いや、いいんだよ?
 自分だけが知らない領域が目の前に広がっていたのだからそこに不純物があるべきとは思えない。それに常識的な行動としても一緒に写らない方がきっと大多数だろう。しかし、石井にとって常識など糞にも劣る微粒子以下だったはずだ。どうしてその様な当たり前の反応しかできなかったのだろうか。
 
取って渡せよ、普通に撮影すると見せかけて自撮りした自らのご尊顔。
最低でも一緒に写真を撮って貰うぐらいのことはするべきであって、やはりつまらない人間になったものだと思うのだ。
 
 でもまぁ、別に良いのだ。
 
誰に喜んで欲しいでもない。誰に笑って欲しいでもない。私の腕が落ちようと、私の足がもげようと、特段誰かが気に留めるわけでもない。それは私も同様である。
 
こんなの死体も同然だ。
でも世の中、大多数はそうやって日々をやり過ごして生きているではないか。生きてるとも死んでいるとも自分で判別することもなく。生きてる人間なんて世の中の一握りだ。きっとそんな感じだ。
 
このまま流れて流されて私はどこへ辿り着くのだろうか。人生は航海のようなものに思える。賢い奴には行き先は見えている。馬鹿な奴は波の上に浮かんだままである。
凪だ。
風がなければ前へは進めない。それでも今のみの私では風を吹かせるような力量はない。引き出しを開けたらドラえもんが出てくる可能性はいくつぐらい残されているだろうか?
 
いずれにせよ生きている以上はあとひと踏ん張りしなければならない。私にとってそれが生きていくということだ。少なくともそうであって欲しい。
 
あと中木さんも誰だよ。